2007年5月28日月曜日

1兆6千790億分の一日

夕方、日が沈んだ後の空を眺めに屋上に上った。しばらくそこで仰向けになっていた。
雲がいくつかの階層を作って、すごい速さで流れていた。
一番低いところに今にも雨を降らせそうな黒い重たそうな雲、その上に綿あめのような雲、そのまた上にはほうきで掃いたような雲があった。その雲の間を縫うように飛行機が飛んで行った。東の空には月が出ていた。
こんな自然の営みがもう何年続いているんだろう、と考えた。何億年か。そしてこの先も何億年も続いていくんだろう。地球が生まれてから46億年、人類が誕生してから20万年。
僕が生まれてから29年...
そして今日という一日は地球から見たら46億×365分の一、人類から見たら20万×365分の一か。

そんなことを延々と考えていると、仰向けになった僕の顔の上に一粒、また一粒と雨が降り始めたので屋上を降りた。

部屋に戻り、またギターを弾きはじめた。すると、ここ二週間苦労して難渋していた曲が仕上がった。

そのあと晩飯にあじの刺身を頂いた。

いい一日だった。

感謝。

2007年5月20日日曜日

Lovers

降りしきる雨の中、ふと窓の外を見ると、濡れそぼった二羽の鳩がぴったりと身を寄せ合い電線に止まっていた。雨に打たれるのをじっと我慢して、身じろぎ一つしない。

しばらくして雨は上がり、日がさしてきた。窓の外を見ると二羽の鳩は向かいのアパートの屋根の上に降りていた。また身を寄せ合い、今度はまるでキスをするように優しく口ばしをつつきあっている
雨が上がるのを身を寄せ合いじっと耐えながら待っていた二羽の鳩は、雨上がりの暖かい日の光の下、それを喜ぶように、今度はまるでダンスを踊っているようだった。

ふとニジェールの鶏と卵のことを思い出した。ニジェールでは卵はとても高価なもので、普通は手に入らない。鶏だってそんなにポンポン人間の都合のいいように卵を産むもんじゃない。
でも、それが雨の降った後は必ずどこでも卵が手に入った。彼女たちは、突然思い出したようにポンポン卵を産んだ。

雨の上がった5月の空の下、しきりにお互いの口ばしをつつきあう幸せそうな二羽の鳩を見ていたら、なぜだったのかがよく分かった。

2007年5月16日水曜日

兄の死から

約半数の大学生が、何も手につかないほどのひどいうつ症状を経験していて、10人に1人は自殺を真剣に考えたことがあり、大学生の死亡原因の第2位は自殺。

アメリカの大学生の話だ。
でも、日本の大学生、社会全体にも当てはまる話だと思う。

大学生の精神衛生問題に取り組むActive MindsというNPOを立ち上げたアリソン・メルモンが、22歳の兄、ブライアンを自殺で亡くしたのは彼女が大学1年生の年を締めくくろうとしていた2000年の3月のことだった。Active Mindsは、うつ病等の精神障害に対する偏見をなくし、大学生同士のこの問題に関する連帯を目指して活動をしている。

ブライアンはアイヴィー・リーグの名門コロンビア大学の学生で、大学では大学新聞の編集者、アカペラグループのリーダー、ミュージカルの俳優をつとめる明るくて活発な若者だった。
それだけに、ブライアンがうつ病等の精神障害に苦しみ始めた時、彼はそれを誰にも知られないようひた隠しにした。精神病にかかるのは恥ずかしいことだという思いを強く持っていた彼が家族や精神科医の助けを受けるようになったのは発症から3年たった後のことだった。そしてそれから1年半後ブライアンは自ら命を絶った。

妹のアリソンはそれから1年後、彼女が大学3年生の時にOpen Mindsという名前で最初のミーティングを母校ペンシルヴァニア大学で開いた。最初のミーティングに集まったのはたった3人だけだった。

現実に精神病はとても大きな問題で、多くの学生がこの問題を抱えているのに、精神病にかかるのは恥ずかしいことだという意識が強く、誰もこの問題を語ろうとしない。家族にも友人にも誰にも話せずに、一人で苦しんでいる学生がとても多い。
彼女はこの精神障害に対する偏見をなくし、うつ病等に苦しんでいる学生に一人で苦しまず、少しでも早く治療を受けるように勧め、彼女の兄に起こった様な悲劇を失くすことを目指して活動を続けている。

現在Active Mindsは全米27州に65の支部を持つ団体に成長し、3年以内に支部の数は300に増えるそうだ。最終的には全米全ての大学にActive Mindsがあるようにしたいという。

日本にはActive Mindsのようなサポートグループはあるのだろうか?
日本の大学生のうつ病罹患率をネットで検索したが有益な情報は見つからなかった。
これらについて何か知っている人がいたら是非教えて欲しい。

ウキペディアで「うつ病」と検索したら、「生涯の間には15人から7人に1人がうつ病にかかる」という記述があった。誰でもうつ病にかかって当たり前だということだ。
いつも明るくて元気な人ほど、自分がうつ症状を持った時に、その事実を受け入れることができず、そして恥ずかしいという思いから周りにそのことを隠そうとし、無理をしてしまうのではないだろうか。
だけど、人間生きていれば嬉しいこともあれば、辛いこともある。むしろ、苦しみ、悲しみのほうが多かったりするのが人生だ。そして、生きることっていうのはその苦しみ、悲しみをそのまま受け入れることなんじゃないだろうか。そもそも仏教の教義の基本だって、「一切皆苦」だ。だからこそ、うつ病になって当たり前。喜びの山があれば、当然悲しみの谷だってある訳だ。それで、悲しみの谷にいる時に右も左も分からなくてそのまま深みにはまり、病気になることだってあるだろう。大事なことは、僕ら社会の一人一人がそれは当たり前のことで、自分にだっていつだって起こりうる事だと認めて、もし、家族、友人にその谷にいる人がいれば、そばにいって寄り添うことだろう。


アリソン・メルモンに関するニューヨークタイムズの記事です。
http://www.nytimes.com/2007/04/25/education/25face.html?ex=1179374400&en=1545674e907a0b97&ei=5070

CNNでは動画も見れます。
http://edition.cnn.com/2007/US/05/15/pysk.malmon/index.html

Active Mindsのホームページです。
http://www.activemindsoncampus.org/

2007年5月15日火曜日

ありがとうございました。

ライブを終え、駅から家までの道を自転車に乗って帰ってくると、5月の夜の風が心地よく、木々の葉の匂いが辺りに充ちていた。

今日のライブに来てくださった方、どうもありがとうございました。
みなさんのコーラス最高でした!いや、ホントに!
6月も7月もガンガン頑張って行きますので、どうぞよろしくお願いします!

今日の曲目

1.まっすぐな君に
2.雨上がりの空(ウクレレ:黄 美音志!)
3.これが僕の生きる道(新曲:仮題。Puffyの曲名とかぶっているようなので)
4.新曲(以前のブログにも書いたスリランカの女の子の手紙にあった言葉、"Try, Try, Try again; you can fly oneday"という言葉をもとに作った歌です。曲名思案中)
5.桜のつぼみも開くから
6.タビダチノ唄

今回は久しぶりに雨上がりの空をやりました。しかも、黄君のウクレレ入り!いやあ、やっぱり黄君のウクレレは最高です。やっていてとても気持ちよかった。黄君、ありがと。

次回ライブは、6月14日と7月12日。両日とも第2木曜日です。

今日はどうもありがとうございました!

2007年5月11日金曜日

横浜の中華料理屋にて

久しぶりの友人との島の旅で、色んなことを話した。

人生について、仕事について、社会について、
僕らはどう生きるべきか、どう生きたいのか、
今の社会のありかた、どんな社会にしたいのか、そのために何をするべきなのか、

とり止めもなく、僕らの理想や、将来のことを話した。

...でも結局のところ、一番大事なことは僕がこの一日一日をどう生きたかに尽きる。夢だって理想だって、人生についての話はいくらでもできる。でも、結局のところ「人生」っていうのは一日一日だ。だから、僕がこの一日一日をどう生きられたか、全力で生きたか、それに尽きる。

横浜の中華料理屋で島の旅の最終日を締めくくりながら、そんな話をしていた。

2007年5月7日月曜日

5月14日月曜日 Live@Spuma!

新曲2曲あります。
なかなかいいです。
そのうちの1曲は今作っている最中です。
島からの帰りの船の中でも横浜港着岸ぎりぎりまでデッキで粘りました。しかし、書けたのは1行。
でも次の日(昨日)家でやっていたら一気に9割がた完成しました。
苦労して苦労して、何時間やっても1行しか書けなくても、それが蓄積されて次の日にやるとスラスラ進んだりする。そういうもんなんでしょうね。

ご都合がよろしければ是非お越しください!

Open 19:00~ / Charge ¥1200 + Food & Drinks Order

Live Act : 川上 資人 / 19:30~
渚 十吾 / 20:20~
長坂雅司 / 21:10~


PS. 6月のスプーマでのライブは14日の木曜日となりました。
ちなみにこの日はアメリカではFlag Dayという休日。国旗の制定を祝う祝日だそうです。

2007年5月6日日曜日

友人二人と島へ行ってきた。

ある夜、浜で火を焚き夕飯の仕度をしていると、水平線の向こうから夜の闇に真っ赤な月が顔を出していた。今まで見たことのないような大きな月が暗闇の中で鈍い深紅の光をかすかに放ちながらゆっくりと昇っていった。
穏やかな波の音を聞きながら、水平線に浮かぶ真っ赤な月を眺め、満天の星空のもと食べたカレーは最高の味だった。

翌朝、砂浜を歩き続けると、切り立ったがけの下に大きな洞窟があった。入ってみると、中は大きなドームになっていて、海に面してもう一つ口が開いていた。洞窟の中から見る海は、切り取られた一枚の絵のようだった。





山からは海に注ぐ川が流れていて、この沢をずっと登っていくと滝があった。体の潮を洗い流し、川辺で火を焚き炊いたご飯はまた格別の味だった。



ある夜、島の人と宴会となった。島の焼酎を飲みながら、くさやとさんまを焼き、ギターを弾いて歌った。7人のうち、ギターを弾ける者が4人と、過半数を占める宴会は、歌と踊りの止まらない宴会だった。僕らは即興で島の良さを歌い続けた。
...つもりだったが、途中からはよく意味の分からない卑猥な歌に変わっていた。と、記憶している。

島と、出会った全ての人、二人の友人、特にとっても親切な鶴田さん、ツトムさん、モトカズさんに感謝です。どうもありがとうございました。




横浜港へ帰り着き、入った中華料理屋でテーブルに置いてあったジャスミン茶を注ごうと持ち上げた時、無意識のうちに底に砂が付いていないか確かめてしまった。