2008年8月17日日曜日

Darwin's Nightmare

今もなぜか良く覚えているのは、その映画のことを初めて聞いた時の事。

あしなが育英会の出張で鹿児島に行っていたときだった。

鹿児島に出張する時にいつも泊まっていた駅前の安ホテルがあって、そこで出会ったカナダ人のおばさん達と一緒に市電に乗った時に、なぜかそのおばさんに勧められたのがその映画だった。

あれからもう二年以上経つと思うけど、今日やっと見た。

Darwin's Nightmare

見たことある人も多いんじゃないでしょうか。

はっきり言って表面的には退屈な映画かもしれない。
演出は凝ってないし。別に見せ場とか、盛り上がりとかがあるわけでもないし。

ただその表面的な印象とは裏腹に、非常に深い、内容の濃い映画だった。

かつては、豊富な種類の魚がたくさん取れたタンザニア、ビクトリア湖。
「水『産業』」なんて言うほどのたいしたものじゃなかったんだろうけど、そこには一つの家族、一つの村、一つの地域を支えるには十分な漁業があったはずだ。
貧しいかもしれないけれど、そこには家族で魚を取り、生計をたて、子供を育てる、というごくごく当たり前の人間の暮らしがあったはずだ。

僕が暮らしたニジェールの村も貧しかったけれど、お父さんは畑を耕し、川の渡しをし、漁師をして、一人三役で家族を支えていた。そこには貧しいけれど、確かに家族の絆があって、幸せがあった。

今、タンザニアはビクトリア湖で取れるナイルパーチのおかげで「水産業」が急成長、経済発展を遂げているそうだ。ヨーロッパでは毎日500トンのタンザニア産のナイルパーチが消費され、今ではナイルパーチがタンザニアの一番の輸出品、総輸出の25%を占めるそうだ。
この「産業」はビクトリア湖沿岸で多くの雇用を生み出し、ヨーロッパから莫大な外貨を稼ぎ出し、タンザニアの発展の牽引役の様だ。
経済的に豊かになり、タンザニアの人々の暮らしはさぞ幸せに...

しかし現実は、一匹50キロを超える巨体に成長する外来種のナイルパーチに湖の在来種は全て食べつくされ、村の伝統漁業は壊滅。漁師はナイルパーチをインド人が経営する水産会社に売り、さばかれた魚は冷凍空輸で全てヨーロッパへ。加工され包装されたナイルパーチは、タンザニア人にとっては高すぎて買える代物ではない。
タンザニアの人が手にするのは、トラックで運ばれてくる、ウジのたかるパーチの巨体の頭と骨と尻尾だけだ。それを干して油で揚げるようだ。当然体に良い訳がなく、そこで働く片目を失明したおばさんは、これを食べるとおなかが痛くなって、吐き気がして、どうしようもない。でもこれしか食べるものがない、と言っていた。
子供たちはこのわずかな食料を奪い合い、その後は魚の包装に使われるプラスチックを焚き火で溶かして吸っていた。

つまり、こういうことだろう。
まず、誰かが、って白人だが、がナイルパーチをビクトリア湖に放した。
またたく間に在来種の魚は食い尽くされ、絶滅。死の海と化したビクトリア湖に不気味な巨体のナイルパーチだけが悠々と泳ぎ回る。
インド人がこの魚に目をつけ商売を始める。IMFと世界銀行からの融資を受けて、水産業はタンザニアの一大優良産業に成長。雇用を生み出し、外貨を稼ぎ出し、国の近代化に一役買う。

村のお父さんたちは、昔ながらの漁業が続けられないから、村を出てパーチの一大市場に近接した漁場にみんな集結。村の男たちはみんな出稼ぎ状態で、女と子供だけの村がたくさん生まれる。
家族の為に魚を取る漁業から、現金を得るための漁業に代わり、村を出て都市近郊で暮らしながらパーチをとり、市場で売り、現金を得る漁師たちはそこでHIVに感染。
住民390人のキリミリレ村では6ヶ月で50人の村人が亡くなったそうだ。
残されたお母さんは湖に出て行って売春婦になり、子供も町に出て物乞いをしたりして路上でしのぐ。
そんで彼らが口にするのは、ウジのたかったパーチの骨だ。

パーチを運ぶ貨物飛行機はロシアだかウクライナの貨物飛行機。彼らは往路で武器を運び、復路で魚を運ぶ。
まるで19世紀の三角貿易みたいだ。イギリスからインド経由で中国にアヘン、中国からイギリスには茶。みたいな。

酒ばっかり飲んで、ラジオ聞きながら裸で機体の整備をして陽気にロシア(ウクライナ?)の田舎の写真を見せて、積荷のことを聞かれると、「俺に政治のことは分からん」と通していた気さくなパイロットのおっちゃんが、映画の最後で、「田舎に帰ったら友達に、『そうやってアフリカの子供たちはクリスマスに武器をもらって、ヨーロッパの子供は魚をもらうのね』って言われたよ。」
"I want children to be happy... but I don't know how..."
と言っていたのが印象的だった。