2011年4月18日月曜日

普通救命講習

近所の消防署に救命講習を受けに行ってきた。

ネットで「CPR」と検索して初めに出てきたサイトは講習料1万円だったのだが、消防署ならたったの1,400円。

心肺蘇生(CPR)のやり方、AEDの使い方など。

AEDなんて、パッドを当ててスイッチを入れれば、ただそれだけで心臓が復活するのかな、なんて勝手に想像していたけれど、実はAEDは止まっていた心臓を動かすものではないそうだ。
AEDはあくまで不整脈を取り除くだけなので、CPRとセットで行わなければならない。

以前CNNでも特集していたけれど、最新のCPRの常識は、一般人がCPRを行う場合は人工呼吸を行わないほうがいいそうだ。つまり、ひたすら心臓マッサージ、いわゆる胸骨圧迫を続けた方が良いということ。
この方法だととても簡単なので、一度覚えれば誰でもできる。
とはいえ、不器用な僕は最初はこれでも戸惑った。

改めて、日々これを任務としている救急救命士、看護師、医師の方たちに心底頭の下がる思いがした。

2011年4月16日土曜日

The Catcher in the Rye

「崖の上の草原でつかまえる人」

サリンジャーの書いた、"The Catcher in the Rye"。
本文中の描写も踏まえて訳を付けるとこんな感じだと思う。

たしかに、邦題は「ライ麦畑でつかまえて」、だ。
でも、話の中に畑は出てこないし、そこに生えている植物がライ麦かどうかはどうでもいいことで、とにかく崖の上の草原ということが問題。

「崖の上のライ麦の草原でつかまえる人」、という話がどこで出てくるかというと、主人公のホールデンが妹のフィービーに責められる場面。

高校を退学になったホールデンは、夜中にこっそり家に帰ってくる。
そこで、初めは大喜びだったフィービーが、しばらくしてホールデンがまた高校を退学させられたことを見抜き、ホールデンを責め始める。

「お兄ちゃんはそうやっていつも文句ばっかり言って。お兄ちゃんが好きなものなんて一つもないじゃない。好きなもの、何か一つでも言える?」

ホールデンは、「もちろんだよ。そんなの色々あるけど、ほんとにメチャメチャ好きなこと?それとも、普通に好きなことを言えばいいの?」、とか言ってとっさには気の利いた答えが返せない。

頭に浮かんできたのは、ぼろぼろの麦わらのかごで募金をしていた二人の修道女とか、前に通っていた高校で死んだ友達とか、そんなことばかり。

あれこれと頭の中で取り留めもないことを考えていると、
「やっぱりお兄ちゃんには好きなことなんて一つもないじゃない」、とフィービーに言われてしまう。
あわてたホールデンは弟のアリーの話を始める。

「あるよあるよ。何言ってんだよ。」
「じゃあ言ってみてよ。」
「例えば、そうだ、アリーが好きだよ。あと、こうやって今やってることとかさ。ここに座って、フィービーといろんな話をしたり、考えた..」
「アリーはもう死んだじゃない!」
「そんなこと知ってるよ!でも死んだからって好きじゃなくならなくちゃいけないのかよ。死んだからって好きじゃなくなるわけじゃないだろ。何言ってんだよ。」

しばらく沈黙のあと、またホールデンは話し始める。
「あと今こうやってることとかさ、好きなことだよ。今だよ、今。ここにフィービーと座ってさ、こうやってどうでもいい無駄話してさ。」
「だから、そんなの好きなことのうちに入らないって言ってるでしょ。」
「入るよ!何言ってんだよ!なんで入んねえなんて言うんだよ!みんななんも分かってねんだよ!ふざけんじゃねえよ!」

「分かった。分かったから、そんな汚い言葉使わないでよ。じゃあ、なんか一つ、なんか一つなりたいもの、言ってみてよ。科学者とか。弁護士とかは?」

ここからしばらくなりたいもの、弁護士とかの話をして、突然ホールデンは思いついたように、"Catcher in the rye"の話を始める。

「そうだ、俺がなりたいものでしょ?もしなれんならさ、あの詩覚えてる?『ライ麦の草原で出会ったら』ってやつ」
「ロバート・バーンズのでしょ。」
「そうそうそれ。ずっとあの詩の風景が頭に浮かんでてさ。めっちゃ広いライ麦の草原で子どもが何人も遊んでんのよ。そんで、その草原はすごい高い崖の上にある草原でさ。でも子どもたちは背が小さいからどこで草原が終わるのか見えないでしょ。だから、走り回ってる子どもが崖の上から飛び出しそうになったら、俺が走ってってつかまえるわけ。ただ一日中それだけすんの。ライ麦の草原でつかまえる人、それだね(I'd just be the catcher in the rye and all)。」
「俺がなりたいものって言ったらそれだけかな。アホみたいな話だってことはわかってんだよ。でも俺がほんとになりたいものって言ったらそれだけかな。」

The catcher in the ryeというのは、こんな場面で出てくる話だった。

「崖の上の草原でつかまえる人」

そんな人になりたいと、みんなきっとそう願っているのだと思う。

2011年4月13日水曜日

帰りの電車で

「毎日相変わらずでさ、なんか最近全然いいことないし。」

そんな会話が聞こえてきた。

ふとリルケの言葉を思い出していた。

"If your everyday life seems poor, don't blame it; blame yourself; admit to yourself that you are not enough of a poet to call forth its riches." - from "Letters to a young poet" by Rainer Maria Rilke

(もし毎日がつまらなく思えたとしたら、その毎日を責めるのではなく、自分自身を責めてください。平凡な毎日に隠されたその豊かさを引き出す、そんな詩人に自分がまだなれていないのです。)

僕自身、何度もハっとさせられた言葉であり、いつも頭のすみに置いている言葉だ。

2011年4月11日月曜日

投票立会人

投票に行ってきた。

投票所では、投票箱の後ろ、紅白のテープで区切られたその向こうに、4名の年配の方が座っておられた。
真ん中の男性の前には「投票管理者」、残りの3名の前には「投票立会人」という紙が貼られていた。

全部で4名。
「こんなに必要なの?」と思い、紅白テープの後ろから、「すいません」と声をかけてみた。
一瞥されただけで、無視されてしまった。
仕方がないのでテープをまたいで話をしに行ってみた。

「すみません、投票管理者と投票立会人はどう違うんですか。」
「管理者と立会人の役割はだいたい同じだけど管理者はそのリーダーという感じ。」
「立会人と管理者で4人も必要なんですか?」
「ん?大体あなたの身分はなんだ。」

とここからはあまり生産的な話にはならなかった。
僕の聞き方も失礼だったのかもしれない。

投票所にいた区の職員の方に日当などを聞いてみると、管理者で1万8千円、立会人で1万5千円ということだった。
そして、公職選挙法で1名の管理者、2名以上5名以下の立会人を置くことが定められているとのこと。

税金の無駄遣いなんじゃないかなぁ、という思いを拭えず帰宅。
調べてみると、確かに管理者は公職選挙法37条、立会人は38条で定められていた。
つまり、法律によって最低でも投票箱の前に1名の管理者と2名の立会人、計3名を置かなければならないということである。
いや~、そんなにいらないんじゃないの? という思いがどうしても拭えない。

しかし、管理者や立会人の仕事の実際を知りもせずに必要か必要じゃないかは分からない。

そこで、選挙管理委員会に電話をかけ、この通りの話を伝えた。
そして、短絡的に「不要だ!」なんて判断をする前に、実際に立会人をすることはできないかを尋ねた。
すると、選挙管理委員会の人はとても心のある人で、若年層の投票率の低下の危機感や、その対策として、「選挙啓発サポーター20・30」というものを始めたことを教えてくれた。
なんでも、これに登録すると立会人なども経験でき、積極的に選挙の運営に関われるということであった。
そして、できたら一度会って話をできないかということだったので、選挙管理委員会事務局を訪ねてみた。

実際に会ってみると、事務局長と情報啓発係長のお二人はとても気さくで素敵な方だった。

僕が、法律で定められているとはいえ、投票箱をただ見ているだけの人を4名も置かなければならないのはいかにも無駄ではないかと伝えると、確かにその通りだ、とこの点には同意した上で、こんな話を聞かせてくれた。

なんでも、立会人は、通常その投票所のある町内会にお願いして人を出してもらっている。しかし、朝6時半位から8時過ぎまで拘束され、夏場などはクーラーもない体育館で大変なのに、「今年は人を出せません」と断られたことが一度もない。
つまり、毎回快く管理者、立会人を引き受けてくれる町内会のご年配の方々は、生まれた時から民主主義がある、という社会で育ったわけではないので、選挙は大事なものである、という意識がとても強いそうだ。
とくに女性は、選挙権自体、認められたのが戦後であり、その権利の重要性をとても強く感じているとのことだった。
だからいつも投票管理者も投票立会人もみんな快く引き受けてくれるのだという。

たしかに、箱の前に4人も人を置くのは無駄かもしれない。
でも、法律でそう定められている以上、そこに実際に座る人はどうしても必要だ。
そして、その仕事を実際にやる人は、朝6時半から夜8時過ぎまでで1万5千円という日当で、その役割を果たしている。

ツイッターで、「立会人」と入れてみると、「今投票所。立会人多すぎ。何にもしてない。必要なくない?」という類の書込みが多数出てきた。
僕が抱いた感想を持った人は僕だけではなかったようだ。

しかし、立会人の人達は必要な役割を果たしているのであり、法律上、彼らがいなかったら、投票を実施することができない。
でも、パッと見そこにいる人が無駄に見えるから、やっぱりその生身の「人」を非難してしまいそうになる。

しかし、仮に3名や4名の立会人が無駄なのであれば、議論すべきは公職選挙法37、38条であり、どういう人が立会人になっていて、いくらもらっているか分からないから税金の無駄遣いではないか、という感覚を抱かせているとしたら、議論すべきはその選任の仕方だ。

問題があるとすれば、きっといつもそれはシステムであり、現場で実際に役割を果たしている人はただひたむきにその役目を果たしているのだろう。

僕は、投票所で「4人も必要なんですか」なんて聞いてしまったが、もう少し違う聞き方があったと思う。
自分の未熟さを反省せずにはいられない。

いろんなことを考えさせられた2011年東京都知事選挙だった。

2010年2月19日金曜日

どうもありがとう。

昨日、一年間担当した中1と中2のクラスの授業が終わった。

この一年間、授業で彼らに会うのがとても楽しみだった。
そして、彼らからとても多くのことを学ばせてもらった。
色んなことを考えさせられた。

本当はそんな感謝の気持ちを、かっこよく素直に教壇からうまく生徒たちに伝えられればいいのだけど、いつも軽口を叩き合う関係のなか、急に神妙にまじめなことを言うのも照れくさく、うまくそういった思いを伝えられなかった気がすることが、心残りだ。

ただ、僕が一番好きな詩の一つ、カヴァフィの書いたイサカという詩に、僕が伝えたかったことが凝縮されている気がして、それを授業の題材として配布した。
もっとも、この時も、「この前勉強した、接続詞whenの使われ方を見てみましょう。」とか言って配っただけだったので、もう少し、この詩のバックグラウンドとか、なぜこの詩を最後にみんなに贈るのか、という話を1、2分でもいいからちゃんとすればよかったかな、と思われる。

なので、ここにその話を載せて、みんなへの感謝を小さく伝えたいと思います。

イサカというのはギリシャにある島の名前です。
オデッセイアというギリシャ神話に、その物語の主人公、オデッセウスの故郷としてイサカ島が登場します。
物語は、オデッセウスがイサカを目指して旅を続ける中、多くの困難や誘惑に出会うけれども、最後はやっとイサカに辿り着くことが出来た、という話です。

それで、カヴァフィは、このイサカという名前を、それぞれの個人が持つ人生の目標、目的地のメタファー、隠喩として用いています。
カヴァフィは、19世紀の終わりにギリシャで生まれ、イギリスとフランスで育ち、エジプトで仕事をしていました。そして、同性愛者でした。
こんなふうに、生まれ育った国を一つに確定できず、同性愛という他の多くの人とは違う性的アイデンティティを持つカヴァフィは、国籍ってなんだ?普通ってなんだ?人間ってなんだ?ということを人よりたくさん考えていたと思います。
そして、今でも同性愛の人に対する差別は根強いのに、19世紀の終わりから20世紀の初めという時代にあっては、同性愛者に対する差別、迫害は今よりももっと激しいものだったのだろうと思います。

こうした多くの困難に満ちた人生をカヴァフィは生きました。
しかし、だからこそカヴァフィは100年の時を経て、世界中で読まれ、世界中の人に勇気を与え続ける、この「イサカ」のような詩を残せたのだと思います。

昨日みんなに贈ったイサカという詩はそんな詩でした。

一年間どうもありがとう。この詩を、感謝の言葉に代えて、みなさんに贈ります。

~ イサカ ~

君がイサカへ向けて旅立つ時
その旅路が長いものでありますように
それが冒険に満ち、新しい出会いに富んだものとなりますように
ライストリュゴネスも、キュクロプスも、
猛り立つポセイドンも、恐れることはない
旅路の途中、君がそれらに出会うことは決してないのだから
君が思いを高く保ち続ける限り
その心が君の身体と精神を離れることがない限り
ライストリュゴネスも、キュクロプスも、
猛り立つポセイドンも、君は出会うことはない
君自身が、それらを君の心に招き入れない限り
君の心がそれらを君自身の前に出現させない限り

君の行く道が長いものでありますように
たくさんの夏の朝が
君が、喜び、驚きと共に、初めての港を目にする
たくさんの夏の朝がありますように
フェニキアの市場を訪ね
そして最良の品々との出会いがありますように
真珠の貝殻、珊瑚、琥珀、象牙、立ち上る香のかおり
そして、エジプトの都市を訪ね
賢者たちとの出会いが、学びが、ありますように

けれどもイサカを視界から失ってはならない
なぜならそこにたどり着くことが君の使命なのだから
しかし歩みを急いではならない
旅路は幾年も続くほうがよいのだから
そして、錨を下ろす頃には、しっかりと年をとり、旅路で得た経験から豊かになった君はもう、
イサカが君を豊かにしてくれるはずだと期待することはないだろう

イサカは君にすばらしい旅を与えた
イサカがなければ、君がこの旅路へと出ることもなかっただろう
イサカが君に与えるものはもう何もない
しかしもし君が、イサカには何もないと思ったとしても、
イサカは君を裏切らなかったことに気付くだろう。
経験を積み、賢くなった君は、
イサカの本当の意味をその頃にはもう知っているはずだから

コンスンタンティン・カヴァフィ


~ ITHACA ~

When you set out for Ithaca,
hope your road is a long one,
full of adventure, full of discovery.
Laistrygonians, Cyclops
angry Poseidon - don't be afraid of them:
you'll never find things like those on your way
as long as you keep your thoughts raised high,
as long as a rare excitement
stirs your spirit, and your body.
Laistrygonians, Cyclops,
wild Poseidon - you won't encounter them
unless you bring them along inside your soul,
unless your soul sets them up in front of you.

Hope your road is a long one.
May there be many summer mornings when,
with what pleasure, what joy,
you enter harbors you're seeing for the first time;
may you stop at Phoenician trading stations
to buy fine things,
mother of pearl and coral, amber and ebony,
sensual perfumes of every kind -
as many sensual perfumes as you can;
and may you visit many Egyptian cities
to learn and go on learning from their scholars.

Keep Ithaca always in your mind.
Arriving there is what you're destined for.
But don't hurry the journey at all.
Better if it lasts for years,
so you're old by the time you reach the island,
wealthy with all you've gained on the way,
not expecting Ithaca to make you rich.

Ithaca gave you the marvelous journey.
Without her you wouldn't have set out.
She has nothing left to give you now.
And if you find her poor, Ithaca won't have fooled you.
Wise as you will have become, so full of experience,
you'll have understood by then what these Ithacas mean.

Constantine P. Cavafy (1863-1933)

2009年4月25日土曜日

Quote of the Day

it's the struggle that makes us who we are.

2008年12月12日金曜日

大事なこと

9月の末から、今日までずっと、僕が住んでいるアパートでは、一階から屋上まで足場を組んでの大掛かりな補修工事が行われている。

10月から11月にかけて、外壁とベランダの撥水工事をしている頃は、朝7時半から職人さんが4階の僕の家の窓の前を行ったりきたり、ベランダの中に飛び降りて壁を検査したりするので、カーテンも開けられず、さっさっと終われ、と思っていた。

工事の初めの頃、夜、自転車置き場に作業着が放置してあったり、工具が踊り場に置きっ放しになっていたりと、とにかくマナーの悪さが目立ち、そんなことが気になっていた。

そんな中、ある土曜日の朝、洗濯をしようと思い一週間ぶりにベランダに出てみると、洗濯機の上、ベランダ一面、排水溝に、外壁、屋上を検査する時に落ちたと思われるほこり、ゴミが散乱し、排水溝は水が流れなくなってしまっていた。その他にも、ベランダに置いてあった物干し、サンダルとかそういった物が散乱して、酷い状態だった。

この時は、僕は管理会社に電話を入れ、管理会社のほうから、苦情を伝えてもらうことにした。

一週間後、また同じことがあり、今度は直接現場責任者に電話を入れて、苦情を伝えると、責任者の方は謝りながらもなんだかもごもごと言い逃れをしている。

一週間後、今度は夜遅く家に帰ってシャワーを浴びて寝ようと思ったらお湯が出ない。どうやらベランダの給湯器を変にいじったらしい。仕方がないので、水シャワーを浴びて寝た。

次の日、朝仕事に行こうと外へ出た時に職人さんがいたので、「責任者の人、いますか。」と聞き、呼んでもらった。
これまでの不手際は全部若い作業員か、他の従業員がやったことで、責任者本人の行為ではないと分かってはいるが、そこはやはり、「責任者」、その責任の分、給料も多くもらっているのだろうと思い、その分やはり彼には監督責任があると思い、少しきつく僕の不満を伝えた。
その現場責任者の方は少しどもったりしながら、「すぐ直します」を繰り返していた。
ただ、とにかくきっと根は優しい人のいい人なんだろう、と思いながらも、頼りない「責任者」だな、と思わざるをえなかった。

そうして、外壁の工事も、ベランダも、11月の末には終わり、足場も撤去され、今は最後の仕上げをしている。

今、勉強をしていると、玄関の外で脚立を置いたり、動かしたり、何か作業をする音がしきりに聞こえるので、のぞき穴から外を見てみると、もう9時を過ぎてるのに、その責任者のおっちゃんが一人でもくもくと最後の仕上げ作業をしていた。職人さんも、若い衆も、みーんなとっくに帰ってるのに、その少し頼りない責任者のおっちゃんは一人、手すりを磨いていた。

僕は一言声をかけたくなって、台所の下に友人にもらってそのままになっている日本酒があることを思い出した。

ドアを開け、「ご苦労様です」と言って、「これ良かったら、」と言ってそのもらい物の日本酒を差し出すと、「いやいやぁ!いいですよぉ、そんなのぉ!」とか言いながらも、とても嬉しそうに、「いいんですかぁ!?」と言ってもらってくれた。
建設会社は大分の会社と書いてあったので、みんな九州から来ているのかと聞いてみると、若い衆はやっぱり九州の人間が多いけど、おっちゃんは地元も家も練馬で、この近所らしかった。

でもとにかく、夜遅くまで独りで頑張っている、なんだか少し頼りない責任者のおっちゃんを見ると、みんな人知れずがんばってるんだなあ、と思わされた。少し古くなった作業着を着て、どう考えてもここじゃなんも落ちてこねえぞ、という場所でもヘルメットをずれ気味にかぶり続け、もう誰もいなくなった現場で一人仕上げを続けるおっちゃん。ほんと、大事なことを教わった気がした。

工事はあさってが最終日だ。
なんだか不思議なもんで、あんだけ早く終われ、うっとうしい、と思っていた工事も、これで全部終わるのかと思うと少しの寂しさもある。ま、ずっと続けられても困るけど。

2008年11月5日水曜日

Her Victory

When I woke up this morning, I turned on my computer and logged on to CNN like I usually do every morning.

There was an African American old lady standing in the line to vote with her grand son and her daughter. She was just crying. She said, "Marvellous. God kept me here for some reason. And I guess this is supposed to be it."
and that, brought me to tears.

http://edition.cnn.com/video/#/video/politics/2008/11/04/bts.three.generations.vote.cnn?iref=videosearch

I just couldn't help myself from thinking about all the hardships she must have gone through.
She must not have been able to vote when she was young.
She must not have been able to sit on the bus when she was young.
She must not have been able to go to a restaurant where white people dine.
There must have been so many things she was denied to do.
Yet, she must have fought for them. She must have kept fighting for the rights she deserves, not just for herself, but for her daughter, and for her then unseen grandson.
All her life must have been a struggle. A struggle to get equal right.

That's why she was crying this morning while she was standing in the line to vote for a possible first African American president.

As Obama eloquently said tonight, this is not his victory. This is her, and millions of others like her, victory. It is the victory of those who were once oppressed, but never lost hope, and kept fighting for the better tomorrows so that the next generation would not have to face their struggles.
This is their victory.

So, that's what they did for our generation.
The question is what our generation can do for the next generation.

That's what is being asked of us now.

2008年8月17日日曜日

Darwin's Nightmare

今もなぜか良く覚えているのは、その映画のことを初めて聞いた時の事。

あしなが育英会の出張で鹿児島に行っていたときだった。

鹿児島に出張する時にいつも泊まっていた駅前の安ホテルがあって、そこで出会ったカナダ人のおばさん達と一緒に市電に乗った時に、なぜかそのおばさんに勧められたのがその映画だった。

あれからもう二年以上経つと思うけど、今日やっと見た。

Darwin's Nightmare

見たことある人も多いんじゃないでしょうか。

はっきり言って表面的には退屈な映画かもしれない。
演出は凝ってないし。別に見せ場とか、盛り上がりとかがあるわけでもないし。

ただその表面的な印象とは裏腹に、非常に深い、内容の濃い映画だった。

かつては、豊富な種類の魚がたくさん取れたタンザニア、ビクトリア湖。
「水『産業』」なんて言うほどのたいしたものじゃなかったんだろうけど、そこには一つの家族、一つの村、一つの地域を支えるには十分な漁業があったはずだ。
貧しいかもしれないけれど、そこには家族で魚を取り、生計をたて、子供を育てる、というごくごく当たり前の人間の暮らしがあったはずだ。

僕が暮らしたニジェールの村も貧しかったけれど、お父さんは畑を耕し、川の渡しをし、漁師をして、一人三役で家族を支えていた。そこには貧しいけれど、確かに家族の絆があって、幸せがあった。

今、タンザニアはビクトリア湖で取れるナイルパーチのおかげで「水産業」が急成長、経済発展を遂げているそうだ。ヨーロッパでは毎日500トンのタンザニア産のナイルパーチが消費され、今ではナイルパーチがタンザニアの一番の輸出品、総輸出の25%を占めるそうだ。
この「産業」はビクトリア湖沿岸で多くの雇用を生み出し、ヨーロッパから莫大な外貨を稼ぎ出し、タンザニアの発展の牽引役の様だ。
経済的に豊かになり、タンザニアの人々の暮らしはさぞ幸せに...

しかし現実は、一匹50キロを超える巨体に成長する外来種のナイルパーチに湖の在来種は全て食べつくされ、村の伝統漁業は壊滅。漁師はナイルパーチをインド人が経営する水産会社に売り、さばかれた魚は冷凍空輸で全てヨーロッパへ。加工され包装されたナイルパーチは、タンザニア人にとっては高すぎて買える代物ではない。
タンザニアの人が手にするのは、トラックで運ばれてくる、ウジのたかるパーチの巨体の頭と骨と尻尾だけだ。それを干して油で揚げるようだ。当然体に良い訳がなく、そこで働く片目を失明したおばさんは、これを食べるとおなかが痛くなって、吐き気がして、どうしようもない。でもこれしか食べるものがない、と言っていた。
子供たちはこのわずかな食料を奪い合い、その後は魚の包装に使われるプラスチックを焚き火で溶かして吸っていた。

つまり、こういうことだろう。
まず、誰かが、って白人だが、がナイルパーチをビクトリア湖に放した。
またたく間に在来種の魚は食い尽くされ、絶滅。死の海と化したビクトリア湖に不気味な巨体のナイルパーチだけが悠々と泳ぎ回る。
インド人がこの魚に目をつけ商売を始める。IMFと世界銀行からの融資を受けて、水産業はタンザニアの一大優良産業に成長。雇用を生み出し、外貨を稼ぎ出し、国の近代化に一役買う。

村のお父さんたちは、昔ながらの漁業が続けられないから、村を出てパーチの一大市場に近接した漁場にみんな集結。村の男たちはみんな出稼ぎ状態で、女と子供だけの村がたくさん生まれる。
家族の為に魚を取る漁業から、現金を得るための漁業に代わり、村を出て都市近郊で暮らしながらパーチをとり、市場で売り、現金を得る漁師たちはそこでHIVに感染。
住民390人のキリミリレ村では6ヶ月で50人の村人が亡くなったそうだ。
残されたお母さんは湖に出て行って売春婦になり、子供も町に出て物乞いをしたりして路上でしのぐ。
そんで彼らが口にするのは、ウジのたかったパーチの骨だ。

パーチを運ぶ貨物飛行機はロシアだかウクライナの貨物飛行機。彼らは往路で武器を運び、復路で魚を運ぶ。
まるで19世紀の三角貿易みたいだ。イギリスからインド経由で中国にアヘン、中国からイギリスには茶。みたいな。

酒ばっかり飲んで、ラジオ聞きながら裸で機体の整備をして陽気にロシア(ウクライナ?)の田舎の写真を見せて、積荷のことを聞かれると、「俺に政治のことは分からん」と通していた気さくなパイロットのおっちゃんが、映画の最後で、「田舎に帰ったら友達に、『そうやってアフリカの子供たちはクリスマスに武器をもらって、ヨーロッパの子供は魚をもらうのね』って言われたよ。」
"I want children to be happy... but I don't know how..."
と言っていたのが印象的だった。

2008年6月19日木曜日

結婚式

5月に大事な友人の結婚式が二つあった。

一つは大学時代からの友人。

もう一つは協力隊時代の友人の結婚式。

一人は記者で、もう一人は木工職人/営業。個性のあるとても楽しい結婚式だった。

僕はそんな友人の大切な結婚式を祝いたくて、歌を作った。歌詞には仲間にも参加してもらい、みんなで歌を作った。披露宴で「実は歌を作ってきちゃいましたよ。」とか言ってサプライズ演奏をした。とても喜んでくれた。と思う。

こんな風に大切な人の、大切な時に、仲間と歌を作ってプレゼントする。そんなことが、きっと音楽の一番幸せな形だったりするんだろう。