2011年4月18日月曜日

普通救命講習

近所の消防署に救命講習を受けに行ってきた。

ネットで「CPR」と検索して初めに出てきたサイトは講習料1万円だったのだが、消防署ならたったの1,400円。

心肺蘇生(CPR)のやり方、AEDの使い方など。

AEDなんて、パッドを当ててスイッチを入れれば、ただそれだけで心臓が復活するのかな、なんて勝手に想像していたけれど、実はAEDは止まっていた心臓を動かすものではないそうだ。
AEDはあくまで不整脈を取り除くだけなので、CPRとセットで行わなければならない。

以前CNNでも特集していたけれど、最新のCPRの常識は、一般人がCPRを行う場合は人工呼吸を行わないほうがいいそうだ。つまり、ひたすら心臓マッサージ、いわゆる胸骨圧迫を続けた方が良いということ。
この方法だととても簡単なので、一度覚えれば誰でもできる。
とはいえ、不器用な僕は最初はこれでも戸惑った。

改めて、日々これを任務としている救急救命士、看護師、医師の方たちに心底頭の下がる思いがした。

2011年4月16日土曜日

The Catcher in the Rye

「崖の上の草原でつかまえる人」

サリンジャーの書いた、"The Catcher in the Rye"。
本文中の描写も踏まえて訳を付けるとこんな感じだと思う。

たしかに、邦題は「ライ麦畑でつかまえて」、だ。
でも、話の中に畑は出てこないし、そこに生えている植物がライ麦かどうかはどうでもいいことで、とにかく崖の上の草原ということが問題。

「崖の上のライ麦の草原でつかまえる人」、という話がどこで出てくるかというと、主人公のホールデンが妹のフィービーに責められる場面。

高校を退学になったホールデンは、夜中にこっそり家に帰ってくる。
そこで、初めは大喜びだったフィービーが、しばらくしてホールデンがまた高校を退学させられたことを見抜き、ホールデンを責め始める。

「お兄ちゃんはそうやっていつも文句ばっかり言って。お兄ちゃんが好きなものなんて一つもないじゃない。好きなもの、何か一つでも言える?」

ホールデンは、「もちろんだよ。そんなの色々あるけど、ほんとにメチャメチャ好きなこと?それとも、普通に好きなことを言えばいいの?」、とか言ってとっさには気の利いた答えが返せない。

頭に浮かんできたのは、ぼろぼろの麦わらのかごで募金をしていた二人の修道女とか、前に通っていた高校で死んだ友達とか、そんなことばかり。

あれこれと頭の中で取り留めもないことを考えていると、
「やっぱりお兄ちゃんには好きなことなんて一つもないじゃない」、とフィービーに言われてしまう。
あわてたホールデンは弟のアリーの話を始める。

「あるよあるよ。何言ってんだよ。」
「じゃあ言ってみてよ。」
「例えば、そうだ、アリーが好きだよ。あと、こうやって今やってることとかさ。ここに座って、フィービーといろんな話をしたり、考えた..」
「アリーはもう死んだじゃない!」
「そんなこと知ってるよ!でも死んだからって好きじゃなくならなくちゃいけないのかよ。死んだからって好きじゃなくなるわけじゃないだろ。何言ってんだよ。」

しばらく沈黙のあと、またホールデンは話し始める。
「あと今こうやってることとかさ、好きなことだよ。今だよ、今。ここにフィービーと座ってさ、こうやってどうでもいい無駄話してさ。」
「だから、そんなの好きなことのうちに入らないって言ってるでしょ。」
「入るよ!何言ってんだよ!なんで入んねえなんて言うんだよ!みんななんも分かってねんだよ!ふざけんじゃねえよ!」

「分かった。分かったから、そんな汚い言葉使わないでよ。じゃあ、なんか一つ、なんか一つなりたいもの、言ってみてよ。科学者とか。弁護士とかは?」

ここからしばらくなりたいもの、弁護士とかの話をして、突然ホールデンは思いついたように、"Catcher in the rye"の話を始める。

「そうだ、俺がなりたいものでしょ?もしなれんならさ、あの詩覚えてる?『ライ麦の草原で出会ったら』ってやつ」
「ロバート・バーンズのでしょ。」
「そうそうそれ。ずっとあの詩の風景が頭に浮かんでてさ。めっちゃ広いライ麦の草原で子どもが何人も遊んでんのよ。そんで、その草原はすごい高い崖の上にある草原でさ。でも子どもたちは背が小さいからどこで草原が終わるのか見えないでしょ。だから、走り回ってる子どもが崖の上から飛び出しそうになったら、俺が走ってってつかまえるわけ。ただ一日中それだけすんの。ライ麦の草原でつかまえる人、それだね(I'd just be the catcher in the rye and all)。」
「俺がなりたいものって言ったらそれだけかな。アホみたいな話だってことはわかってんだよ。でも俺がほんとになりたいものって言ったらそれだけかな。」

The catcher in the ryeというのは、こんな場面で出てくる話だった。

「崖の上の草原でつかまえる人」

そんな人になりたいと、みんなきっとそう願っているのだと思う。

2011年4月13日水曜日

帰りの電車で

「毎日相変わらずでさ、なんか最近全然いいことないし。」

そんな会話が聞こえてきた。

ふとリルケの言葉を思い出していた。

"If your everyday life seems poor, don't blame it; blame yourself; admit to yourself that you are not enough of a poet to call forth its riches." - from "Letters to a young poet" by Rainer Maria Rilke

(もし毎日がつまらなく思えたとしたら、その毎日を責めるのではなく、自分自身を責めてください。平凡な毎日に隠されたその豊かさを引き出す、そんな詩人に自分がまだなれていないのです。)

僕自身、何度もハっとさせられた言葉であり、いつも頭のすみに置いている言葉だ。

2011年4月11日月曜日

投票立会人

投票に行ってきた。

投票所では、投票箱の後ろ、紅白のテープで区切られたその向こうに、4名の年配の方が座っておられた。
真ん中の男性の前には「投票管理者」、残りの3名の前には「投票立会人」という紙が貼られていた。

全部で4名。
「こんなに必要なの?」と思い、紅白テープの後ろから、「すいません」と声をかけてみた。
一瞥されただけで、無視されてしまった。
仕方がないのでテープをまたいで話をしに行ってみた。

「すみません、投票管理者と投票立会人はどう違うんですか。」
「管理者と立会人の役割はだいたい同じだけど管理者はそのリーダーという感じ。」
「立会人と管理者で4人も必要なんですか?」
「ん?大体あなたの身分はなんだ。」

とここからはあまり生産的な話にはならなかった。
僕の聞き方も失礼だったのかもしれない。

投票所にいた区の職員の方に日当などを聞いてみると、管理者で1万8千円、立会人で1万5千円ということだった。
そして、公職選挙法で1名の管理者、2名以上5名以下の立会人を置くことが定められているとのこと。

税金の無駄遣いなんじゃないかなぁ、という思いを拭えず帰宅。
調べてみると、確かに管理者は公職選挙法37条、立会人は38条で定められていた。
つまり、法律によって最低でも投票箱の前に1名の管理者と2名の立会人、計3名を置かなければならないということである。
いや~、そんなにいらないんじゃないの? という思いがどうしても拭えない。

しかし、管理者や立会人の仕事の実際を知りもせずに必要か必要じゃないかは分からない。

そこで、選挙管理委員会に電話をかけ、この通りの話を伝えた。
そして、短絡的に「不要だ!」なんて判断をする前に、実際に立会人をすることはできないかを尋ねた。
すると、選挙管理委員会の人はとても心のある人で、若年層の投票率の低下の危機感や、その対策として、「選挙啓発サポーター20・30」というものを始めたことを教えてくれた。
なんでも、これに登録すると立会人なども経験でき、積極的に選挙の運営に関われるということであった。
そして、できたら一度会って話をできないかということだったので、選挙管理委員会事務局を訪ねてみた。

実際に会ってみると、事務局長と情報啓発係長のお二人はとても気さくで素敵な方だった。

僕が、法律で定められているとはいえ、投票箱をただ見ているだけの人を4名も置かなければならないのはいかにも無駄ではないかと伝えると、確かにその通りだ、とこの点には同意した上で、こんな話を聞かせてくれた。

なんでも、立会人は、通常その投票所のある町内会にお願いして人を出してもらっている。しかし、朝6時半位から8時過ぎまで拘束され、夏場などはクーラーもない体育館で大変なのに、「今年は人を出せません」と断られたことが一度もない。
つまり、毎回快く管理者、立会人を引き受けてくれる町内会のご年配の方々は、生まれた時から民主主義がある、という社会で育ったわけではないので、選挙は大事なものである、という意識がとても強いそうだ。
とくに女性は、選挙権自体、認められたのが戦後であり、その権利の重要性をとても強く感じているとのことだった。
だからいつも投票管理者も投票立会人もみんな快く引き受けてくれるのだという。

たしかに、箱の前に4人も人を置くのは無駄かもしれない。
でも、法律でそう定められている以上、そこに実際に座る人はどうしても必要だ。
そして、その仕事を実際にやる人は、朝6時半から夜8時過ぎまでで1万5千円という日当で、その役割を果たしている。

ツイッターで、「立会人」と入れてみると、「今投票所。立会人多すぎ。何にもしてない。必要なくない?」という類の書込みが多数出てきた。
僕が抱いた感想を持った人は僕だけではなかったようだ。

しかし、立会人の人達は必要な役割を果たしているのであり、法律上、彼らがいなかったら、投票を実施することができない。
でも、パッと見そこにいる人が無駄に見えるから、やっぱりその生身の「人」を非難してしまいそうになる。

しかし、仮に3名や4名の立会人が無駄なのであれば、議論すべきは公職選挙法37、38条であり、どういう人が立会人になっていて、いくらもらっているか分からないから税金の無駄遣いではないか、という感覚を抱かせているとしたら、議論すべきはその選任の仕方だ。

問題があるとすれば、きっといつもそれはシステムであり、現場で実際に役割を果たしている人はただひたむきにその役目を果たしているのだろう。

僕は、投票所で「4人も必要なんですか」なんて聞いてしまったが、もう少し違う聞き方があったと思う。
自分の未熟さを反省せずにはいられない。

いろんなことを考えさせられた2011年東京都知事選挙だった。