一枚の葉書
部屋の片づけをしていたら、一枚の葉書が出てきた。
あしなが育英会で働いていた時に担当していた学生からの葉書だった。
短い文面にも心のこもった言葉が並んでいる素敵な葉書だった。
僕は、正月に『転居先不明』で戻ってきてしまった彼女宛の年賀状を思い出した。
彼女もこの春から新社会人として頑張っているんだろう。
あしなが育英会で働いていた時、僕は九州と沖縄の担当だった。
年に2回の街頭募金とチャリティーウォークイベントの前には学生たちと一緒に、新聞社、テレビ局、協賛企業などに頭を下げて回った。街頭に立ち、声を張り上げた。一緒に汗をかき、一緒に泣いたこともあった。
その彼らも、今では社会人だ。
この前、そんな彼らと久しぶりに話していたら、
「あしながの活動ってなんだったんすかね。学生の時、僕らは本気で必死になって誰かの役に立ちたい、社会を少しでも良くしたいって思って活動してたわけですよ。でも今こうやって何やってるかって言ったら、毎日会社で働いてるだけで...自分はなんかの役に立ってんですかね。あしながで学んだことって役に立ってんすかね。」
と聞かれた。
それは正直言って、僕が毎日思っていることと全く同じことだった。自分は一体誰かの役に立っているのか?
僕は職員だったわけで、彼らから見れば先輩だし、実際職員は学生たちからは「~先生」と呼ばれる。「川上先生」だ。だから彼らから見れば僕は何か賢明な答えを知っているはずなのかもしれない。
かもしれないけれど、正直言って僕も全く同じことを感じながら毎日を生きている。
僕は今29歳で、社会に出てから今年で6年目。彼らは1年目か2年目。たしかに、「先輩」かもしれないし、「先生」だったかもしれない。でも実際は全然たいした事ないし、2年も6年も大差はない。
だから僕は彼に、
「でも実際俺も一緒よ。毎日思うよ、それは。『俺何やってんのかな』って。でもさ、そうやって葛藤して悩み続けることが大事なんだと思うよ。思い通りに生きてる奴の方が少ないわけで、でもその中で理想を忘れずにずっと葛藤し続けることが大事なんじゃないの。だってさ、会社入って毎月給料貰って、でそれに満足してその中でいつの間にか理想とか、学生の頃に持ってた気持ちとかそんなん忘れて『葛藤』もなんもしなくなる奴もいるわけじゃない。だからさ、やっぱあしながの活動を通して学んだことっていうのは、そうやって今『葛藤』していることだけでもすげえ大事なことなんじゃないの。」
と答えた。
もう彼らも学生じゃない。社会に出て、それぞれの場所で頑張っている。葛藤しながら。
今では僕が職員で彼らが学生だった頃のように頻繁に会うこともない。でも改めて思う。僕があしながで出会った彼らは一人一人がみんなとても素敵で、一つ一つの出会いが全て僕の宝物だ。たしかに、距離と時間が離れれば離れるほど思いは風化してしまうものなのかもしれない。けれども、少なくとも僕の側ではそれはないだろう。いつかは分からないし、何年に一回なのかも分からない。でも生きている限りまたいつか会えるだろうし、その時はまた何事もなかったかのように話せればな、と思う。
たまには僕も手紙を書こう。
1 Comments:
どうも。
毎日見てます。
そして、毎日、コメント書こうとするけど、書けません。
たくさん考えます。
今、社会人1年目が終わろうとしています。
『あしなが』やってた時の方が凹んで、悩みました。
コレは、大人になったということですかね。スゴク悲しいです。
Mサルはたくさん葛藤しているようです。
Tクシはいろいろ忘れてしまって、大人になってしまって、感じなくなったのかもしれないと思います。
でも、間違いないのは
『あしなが』は俺を引き出してくれていて、それが、今、会社でほかのスタッフやお客さんから受け入れられていると感じます。
あーあと。
アルバイトが片親何ですが、たくさん悩みも愚痴も聞いてやれたし、自分も話せてやれましたよ。
では、、また逢える日を楽しみにしています。
5月 07, 2007
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