2007年3月8日木曜日

A Fight for Hope

マラライ・ジョヤ(Malalai Joya)28歳。アフガニスタン共和国国会議員。
「明日、もしかしたら1時間後、私はいつ殺されてもおかしくありません。でも、私を支援してくれる人たち、アフガニスタンの人たちのために、私はいつでも死ぬ覚悟はできているんです。」

2005年9月、タリバン支配からの解放後初めての国会議員選挙投票日の10日前、ファラー州のマラライの事務所に一人のおばあちゃんが訪ねてきた。

「2時間かけて歩いてきたのよ。一度も休まずに。あんたに会いたくて。」
百歳のおばあちゃんはそう言うと顔をしわくちゃにして泣き出した。

そしてマラライに、「とにかく、これを食べなさい。おいしいから。」と言って葉に包んだお土産を押し付けた。「これはスープに入れるとおいしいんだから。あんたに食べさせたくて持ってきたのよ。」

おばあちゃんの家族はどんな家族で、どんな人生を生きてきたのかは分からない。
しかし、おばあちゃんのとめどない涙から、イギリスの圧制、独立後の軍事クーデター、ソヴィエト侵攻、そしてタリバン支配というアフガニスタンの苦難の歴史を必死に生き抜いてきたのだろうということがうかがえる。
実際、マラライが戸惑うのもかまわず、「私はね、こう見えてもムジャヒディンとしてソヴィエトと戦ったのよ。地雷の埋め方をね、見せてあげる。」と言って、突然彼女のオフィスの床に腹ばいになって地雷を埋めるまねをして見せた。
しかし起き上がってすぐ、「情けないねえ。本当に情けないよ。」と言ってまた泣き出してしまった。
マラライには、「そんなことありませんよ。おばあちゃんみたいに立派な人はなかなかいませんよ。」と言って慰めることしかできなかった。

おばあちゃんは32年ぶりに選挙があるということ、女性も投票できるということ、そしてマラライという若くて信頼できる、心優しい候補者がいると聞いて山奥の村から州都まで投票のために出てきたのだった。

おばあちゃんが信頼を寄せるマラライは1979年にムジャヒディンの戦士のもとに生まれ、4歳でパキスタンに難民として逃れている。パキスタンで教育を受け、19歳の時にタリバン政権下のアフガニスタンに帰国している。それから、タリバンを公然と批判しながら、孤児院と診療所の経営を始めた。
彼女をアフガニスタン中、世界中で有名にしたのは、2003年の国民大会議で「議長、議長、若い世代にも一言言わせてください!」と叫んで、特別に3分だけ発言を認めさせた時だった。

「正義のために命を落としたムジャヒディンたち、殉教者たちに敬意を表します。」と前置きし、
「私が今日ここで問いたいのは、なぜ新しい国民の代表が集う場に、私たちの国を荒廃させた張本人たち、軍閥、麻薬王たちがいるのでしょうか?彼らは今すぐ裁きを受けるべきです。罰を受けるべきです。例え国民が彼らを許したとしても、歴史は許さないでしょう。」と彼女は言った。

一瞬静まり返った議場は、直後、大混乱となり、武器を隠し持っていたこれらの議員たちは彼女を殺そうと詰め寄ったが、国連の警護に阻まれ彼女は難を逃れた。

これ以降、彼女は4回の暗殺をすり抜け、現在は2,3日ごとに住居をかえるという生活を続けている。

しかし彼女はこう言う。

「脅しに屈して、私が小声で話し始めるようなことはないでしょう。なぜなら私はアフガニスタンの人々の苦難の象徴で、彼らのために働いているからです。もし私が自分が信じるもののために殺されることになるならば、喜んで私の血を解放の為の道標としましょう。そして私の言葉を次の世代のための、革命の手本としましょう。」

「彼らは私を殺すでしょう。しかし私の声を殺すことはできません。なぜならそれはアフガニスタンの全女性たちの声だからです。花を刈ることはできても、春が来ることを止めることはできないのですから。」

From the Documentary Film "Enemies of Hapiness"
http://www.enemiesofhappiness.com/

CNN, A Tale of Two Women
http://edition.cnn.com/CNNI/Programs/untoldstories/blog/index.html

Wikipedia, Malalai Joya
http://en.wikipedia.org/wiki/Malalai_Joya