We must hold to what is difficult(より困難な方へ) ~ライナー・マリア・リルケ~
中学生の頃、詩を読むのが好きになった。
新宿の紀伊国屋の二階に詩集のコーナーがあって、よくそこへ行って適当に詩集を手に取りぱらぱらとめくり、気に入ったのがあれば買っていた。
アレン・ギンズバーグ、中原中也、アルチュール・ランボー。
そのときに出会ったのがライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)だった。
ぱらぱらとページをめくり、最初に目に入った詩のタイトルが、
「放蕩息子の家出」
出だしの言葉が、
「錯綜したことの全てを捨てて今、出てゆく」
学校も家も、世の中何もかもが嫌いで、なぜかいつも何かにむかついていたこの頃の僕は、「おお~!これはかっこいい!」となんだかとても興奮したのを覚えている。
他には、
「幼年時代」
というタイトルで、
「いつ果てるとも知れぬ学校の、退屈な一日の長い長い不安と時の流れるのをただ待っているだけ」
というのもあった。
友達もなく、学校嫌いだった僕はこの詩にも「おお~!分かる分かる!」といたく感動したのを覚えている。
リルケの詩集、著作は今でも手もとにあり、よく開く。
最近Wikipediaをみていたら、著名人の引用だけを集めた"Wikiquote"というのがあり、そこにいくつかのリルケの言葉を見つけた。
人は、(因習も手伝って)物事の解決をできるだけ安易なもの、その中でもさらに安易なものに求めようとする。
しかし、私たちはより困難なものを拠りどころとしていかなければならないということは明らかなことだ。
全ての生きているものはそうして生きている。自然界の全てのものは、独自の生き方で成長し、そして自己を守る。典型的、自発的に、それらは全てをかけて困難を受け入れ、そして、戦う。
私たちはほとんど何も知らない。けれども、困難なことを拠りどころとしていかなければならないということは決して私たちを裏切らない疑いのない事実だ。
孤独であることは良いことだ。なぜなら孤独は困難なことだから。困難であるということは、私たちがそれを進んでするということの理由とならなければならない。
愛することも良いことだ。愛は困難だから。一人の人間が誰かを愛する。多分これが私たちに課せられたことの中で最も困難で、究極の、最終の試練であり、証明ではないだろうか。
“誰かを愛する”ということの前では、他の全ての事はこのことの為の準備だったといっても過言ではない。
http://en.wikiquote.org/wiki/Rainer_Maria_Rilke
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