2006年7月5日水曜日

僕らの願い

僕らの願い。

それはやっぱり一つしかなくて、今苦しんでいる人が、笑顔を取り戻せること。
子ども達が、笑顔でいられること。

そのために僕らは何ができるのか? 何をするのか? それが今僕に突きつけられた課題だ。

「僕らの願い」

この歌は、去年2005年の11月22日に作った歌だ。
この日僕は職場のインターネットで、会議の資料のデータとして、2003年3月20日の米軍によるイラク侵攻以来、何人の人がイラクで亡くなったのかを調べていた。その時、僕の目に一つのニュースが飛び込んできた。
バグダッド北部のバラドという町で、親族の葬儀に参列したあと、夕闇迫る幹線道路を一路家路へと車を走らせる9人家族に向かって、米軍が一斉に発砲し、5人が亡くなったというニュースだった。そのうちの3人は、まだ1歳と2歳と3歳の子どもだった。

僕は悲しくて、悲しくて、やるせなかった。

仕事を終え、7時頃家に帰った僕は、向かいのスーパーに夕飯を買いに出かけた。すると、3歳と4歳くらいの男の子がお母さんと買い物に来ており、元気に店の中を走り回っていた。3歳くらいになる弟の方は、覚えたての言葉でおしゃべりできるのが嬉しくて仕方ないようで、一心にお母さんとおにいちゃんに何かを話しかけていた。アイスクリームをお母さんに買ってもらった二人は、とても嬉しそうで、それを大事そうにビニール袋にしまい、何か相談事をしていた。そこに一人のおばあちゃんがやって来て、幼い兄弟を見るなり、顔を笑顔でくしゃくしゃにして、「かわいいねえ。かわいいねえ。いくつ? いくつになったの?」と、話しかけていた。小さな兄弟も、お母さんも、おばあちゃんも、レジのお兄さんも、みんな笑っていた。みんな幸せそうだった。

僕はこの光景を前に、どうしても昼に目にしたイラクのニュースが思い出されて、胸が一杯になって、涙がこぼれそうになった。

みんな、これが、この笑顔が、子どもの笑顔が、たった一つの、かけがえのないものだって知ってるのに、どうしてこんなことが起こらなきゃいけないんだって思うと、やりきれなかった。

家に帰って、夕飯を食べていると、やっぱり涙があふれてきて、僕は横にあったギターを手に取った。そうしてできたのがこの歌だった。


たしかに、僕らは無力だ。
どうしようもないくらい無力だ。
でもだからといって何もしなくていいのか?
あきらめていいのか?

僕には何ができるのか?
それが今、僕に突きつけられた課題だ。